カラヴァッジオ

  • 2007.10.03 Wednesday
  • 19:48

    カラヴァッジオ画「果物籠」 ミラノ・アンブロシアナ絵画館 






動物たちは、なぜあんなに純粋で、
裏表のない高い精神性を維持できるんだろうと、
私はいつも不思議な思いにとらわれます。
学問を積んでそうなったというわけでもないのに・・。


よけいな「情報」がないぶん動物たちは
必死で
目の前のことを見て、自分の気持ちで納得できるまで
考えつづけています。

生存するために、まやかしはありません。
単なる「情報」や「概念」ではなくって、
自分の見たものを信じて、そして生きる。




イタリアに Istintivo という言葉があります。日常生活のなかでもわりと頻繁に使われていて、
日本語に訳してしまうと、

「本能のままに」。

ちょっと、野蛮なニュアンスに聞こえるのですが、
そうではありません。
美しいと思った自己の心を信じて、
その思いに沿って行動する、
むしろプラスの意味が深い言葉です。



イタリア・ルネッサンス期の画家・カラヴァッジオ。
彼の生涯を語るのに必ず登場するエピソードとして、
あるトラブルから人を殺してしまい、
終生、逃亡の身となった壮絶な物語があります。

でも、その逃亡中の彼に当時のカトリック教会は
執拗なまでに・・・絵の注文・制作をせまっているのです。

こんな事実は
善良な日本人にはなかなか理解できないことです。

人殺し、という「概念」を信じるか、
それとも、たぐいまれな才能への自分の「直感」を信じるか。

・・・教会は Istintivo をとったことになります。


それと、激情から人を殺してしまった画家も
もちろん Istintivo です。
これは悪い意味の、本能的ですが。

ルネサンスという人類史上稀に見る芸術の昂揚は、
一見、こうして荒くれだった
「本能むき出し」の泥田から
すっと立ち昇って咲く一輪の蓮 Lotus のように、
限りない人類の苦闘のなかから誕生しています。




最近、若い人たちと多数会う機会があって、
彼らの礼儀正しさと小綺麗さに感心しながらも、
あまりの温和しさに、
実は拍子抜けしてしまいました。
動物たちの、
自分の判断をひきだすために必死で見て、見つめて、
思考して、記憶にインプットして、
そうした本能のプロセスが
スッと・・・この人たちからは
その部分だけ、なぜかかき消されているように思えて、、

私にはなんだか、寂しかったのです。


















>>>Caravaggio空想の美術館 



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